ロングランエッセイ

Vol.92 帽子売り

URB HOUSE PHOTO

 今年の二月ヘルシンキを訪れた。少し寒さが緩んだとはいえ、温度は低い。夏には花が溢れかえる広場が、冬の寒さのなかではどうなるのかを見に行った。港はすっかり凍っていて、ぽつぽつと土産などの店があるだけで、殺風景だった。シンとしていた港にフェリーが着くと、人が少し降りてくるが、寒いなか足早に広場を横切っていくだけで、寂しいものだった。広場には、わずかにパン屋や毛皮のジャンバーや帽子などを売る店もあった。ポツンとふかふかの帽子とマフラーと防寒服に身を固めて、木の椅子に腰かけて編み物をしながら、帽子を売っているおばさんがいた。指先だけが出た手袋をはめた手で、編み棒で帽子をつくっていた。雪が降ったら、かけるビニールシートを用意して、せっせと編んでいた。でも、寒さに震えて編んでいるというより、淡々とでき上がりを楽しみながら、編み棒を動かしている姿は、頼りになる太っ腹かあさんのようだった。耳までの覆いの付いた青い帽子を買ってかぶったら温かかった。
 五十年程前の三月、フィンランドのツルクという港から船に乗ったことがあった。その桟橋近くに出ていたソーセージの屋台で、同じようなおばさんに出会った。言葉は通じないけれど、日本語と手振りで、「私のソーセージが細い」というと、おばさんは手振りで、「いやいや、あんたのは長いんだ」と手を広げた。一緒の仲間もその手振りの意味を理解して、おばさん含めてみんなで大笑いしたことを思い出した。
 広場で大事なものは、広さや寒さや暖かさ、屋台の形や照明のデザインよりも、出会う人の力なんだと分かった。それも、人の話を一度受け止めることのできる、ふところの広さが必要な気がする。そういうおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんはたくさんいる。みんな街に出よう。街の広場を活かす力になろう。求められているのです。

住宅雑誌リプラン・107号より転載


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