Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.2「円卓」
写真
 少し大きめの、円いテーブルの食卓を囲んで、夕食をごちそうになった。いつもは4人で食べるそうだが、少しずつつめて6人で座った。
 まだ余裕があって、1人や2人は座れそうであった。四角なテーブルでは、そうはいかない。無理に多人数で座ろうとすると、角にあたってしまう人が出る。それこそ、円く納まらず角が立つ。そのうえ、円いテーブルには、上席とか下席という感じがないで、どこに座っても対等という気分になる。国際会議なども、円卓会議のほうが和やかになるというのもこの座り方だからに違いない。
 脇に座の低いゆったりしたソファがあったけれども、果物を食べたりコーヒーを楽しむには、円いテーブルのほうが楽であった。大体ソファに座るより肘付きの大ぶりの椅子に座るほうが、姿勢が崩れずだらしなくならないので、話をするのには都合が良い。普段はそのテーブルの上でそれぞれが宿題をしたり、簡単な書類の整理をしたり、ゆっくり煙草をくゆらせたりしてもお互いに邪魔にならないという。
 そうしてみると、ここは食堂というより居間に近い。
 いや居間というより、茶の間というのにふさわしい。
 かつて茶の間には、卓袱台(ちゃぶだい)という円い折りたたみ式の食卓があった。足をたたんでころころと転がして、部屋の片隅に立てかけて置いたものである。円くなっていれば、どんな人数の家族でも使いこなせるという知恵から生まれた道具である。
 たたみを捨てると同時に、円いテーブルで食事をする良さと利点を、一緒に捨ててしまったのはもったいないことである。
 このような永い時をかけてつくり上げられた知恵を、少しずつでも取り戻して暮らしの知恵を生かした住まいをつくり出したいものである。

住宅雑誌リプラン・17号より転載
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