Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.8「薪」
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 いつも秋口になると、薪の確保の心配と薪割り仕事が大変だと、と愚痴を言う大阪の施主さんがいる。北海道の住まいのように、断熱性が良くて年中安定した室内環境を保つ住まいが欲しいというので、ブロックを二重に積んで住まいを造った。そのため、小さな薪ストーブ一つで家中が暖まる家にはなったが、薪を用意しないと冬を越せなくなったのである。
 今年は、うまい具合に奇特な材木屋さんから薪を手に入れられたと機嫌がよい。来年からもずっと分けてもらえそうだと、さらに機嫌がいい。
 奈良県近くの材木屋が、「今どき、薪を炊いて暖をとるとは珍しい」と同情半分で協力してくれたらしい。もともと炭用に造った、1尺2寸の長さの楢〜ナラ〜の木を分けてくれたらしいが、困ったことに小さなストーブには1尺の薪しか入らない。しかたなく今年は自分で切るが、来年からは特別に1尺のものを造ってくれるそうだと、すっかり喜んでいる。
 かれが、2tトラックを運転して薪を取りに行ったら、その材木屋さんの裏山は桧〜ヒノキ〜の林だったという。そこの樹を使って、代々自分たちの家を建て替えてきたのだという。その中でもとりわけ立派な桧を指して「子供の代に造る時の大黒柱にはこの樹を使う。孫の代に造る時の大黒柱には、こっちの桧がいいだろう。その先は、わからねぇ…」と言われて、樹を相手に暮らす人の考える時間の長さぶりに驚いたという。
 ものを造るときには、もっと長い時間を見据えて造らなければいけないと反省させられる。多くの人はせっかちで機を見るに敏すぎて、わずか1〜2年の不景気や米不足で右往左往して、とても遠くを見る暇がない。今こそ樹を育てる人のように、長い時間を見据えて、次の世代のときに大黒柱になるような、人や建築や街を育てていく勇気がいるように思える。

住宅雑誌リプラン・23号より転載
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