Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.12「仕立て」
写真
 内地で、絣の着物をさりげなく、上手に着こなしていた娘を見かけた。さらりとした着付けもさることながら、仕立てが良かったので、颯爽と見えた。着物は、生地が良いことも大事だが、縫い上げる技術、仕立てが良くなければいけない。
 かつては、生地と仕立ては別に考えていた。仕立ての技術と賃金が上手にかみ合って、技術の優秀なものには、高い賃金が払われていた。近頃の大量生産のものは、ほとんどが仕立賃込みで、どこまでが材料代で、どこからが仕立賃なのかわからない。買う方は、同じ値段でなるべく良い素材のものを手に入れようとするので、仕立ての善し悪しを見ないし、見られなくなった。自分で生地を買って、別に仕立てを頼めば、仕立ての技量もわかるが、今のようでは、仕立ての善し悪しは判断できない。
 住まいについても、同じである。材料と仕立て代が一緒になった、坪当たり幾らの仕事では、立派な素材を使うほど、仕立賃は安くなり、せっかくの素材の良さが活かしきれない。高価な素材を安い仕立賃で造るよりも、安い素材に豊かな仕立賃を掛けて造る方が、人に優しい、温もりのある住まいに仕上がる。そうすることによって、住まいを仕立てる基本的な技術が向上してゆく。優れた技術に、豊かな仕立賃を用意して、心地よい住まいを造りたいものである。

住宅雑誌リプラン・27号より転載
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