Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.22「雨見櫓」
写真
春には明るい日差しが戻り、草木が芽を吹き、爽やかさに満ちて心弾む。春早く小雨ふるなかで、刻々と木の芽がふくらむのを二階の茶の間から見て感激した樹の生命力のすごさと雨の大切さを見せてくれた、その茶の間を「雨見櫓」と名付けたくなった。

目の前がきれいなモミジのある公園で、その奥の斜面は鬱蒼とした林になっている土地なので、その景色を見て暮らそうと、居間と茶の間を2階に上げた家である。小雨の降る昼時に訪れ、ビール片手に軽い四方山話をしていた。話に花が咲き2時間ほど経った。
ふと窓の外を見ると、樹が大きくなったように見えるんだけれどというと、しばらく雨が降っていなかったおかげで、久しぶりに地面に降った雨を吸って、急に芽が膨らんだに違いないという。
たった2時間の間に、目に見えてふくらんでいく木の芽、樹の葉に感激した。
そぼふる雨の中で水たまりで遊ぶ子供のように、落ちてくる雨に向かって枝を広げているようだ。窓から見える樹は、どれもうれしそうに枝を伸ばしているし、雨の量に合わせるように樹は、ふっくらと形を整えていく。 帰る頃になると、まわりの景色は、すっかり和らかみのある春の気配になっていた。
明るい日差しの中、新緑の山をドライブするときも自然の美しさを感じるが、雨がそぼふる中で見せる樹の葉のはつらさや、生命力の方が、自然の偉大さを実感できそうである。
暮らしの便利さからは、いつも嫌われ、避けられる雨や雪、風の日にこそ、はかりしれない自然のすごさに出会うことが出来る。大自然の中へ、と声高に言って遠くに出掛けなくとも、もっと身近で自然の神秘に触れることが出来る。家のつくりかた次第ですね。

住宅雑誌リプラン・37号より転載
Go to INDEX

Go to HOME