Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.32「味わい」
写真
  近ごろは、どんな雑誌にも美味しいといわれる店の紹介がある。食い意地の張ってるわたしは、美味しそうな写真につられて行ってみるが、結構、騙されている。もともと写真ごときもので、奥の深い味わい、玄妙な味覚を読みとろうとしたのが間違いであった。食い物の美味そうな写真に限らず、何においても、巧く撮られた写真や映像を信じすぎる。写真や映像というものは、いつも、実物を超えた、こうあって欲しい姿にまで練り上げた虚像だということを忘れてしまうから、ころりと騙される。
 住まいのなかで、絶えず見たり、触れたりするものの色合いや肌ざわりは、おろそかに出来ないものだが、電話帳のように厚いカタログの数多くの写真のなかから、色合いや肌ざわりを読み取って選ぶことは、なかなか難しい。色合いは、まだしも、肌ざわりについては、食べてみなければ分からない食い物の味が、写真から読めないと同じように、触ってみなければ分からない。肌ざわりを確かめるために、見本を送ってもらったり、実物に触りに出掛けたりしているが、このように肌ざわりを大事にして造られた住まいには、独自の、何とも言えぬ玄妙な味わいが、生まれてくる。
 写真では、食い物の命である味が分からないように、住まいの持つ味わいも、写真や映像で、理解できるものではなく、実際に手で触れ、肌ざわりを確かめて、その中に入って始めて分かるものである。

住宅雑誌リプラン・47号より転載
Go to INDEX

Go to HOME