Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.40「風景造り」
写真
 紅葉もすっかり落ちて、見通しの良くなった踏み分け道を昇り降りして、小さな流れに出た。五分もさかのぼれば湧き水のところがあるという流れは、澄んで爽やかであった。緑の苔の残る岸辺には、鹿の足跡が残っていた。今朝早くに、水を飲みに来たに違いない。その流れから北のほうには、秋の陽を受けた牧場が丘の麓まで遠く広がっていた。暖色系の光のなかの穏やかな風景には、心がなごむ。同行者は、これは隣の人のものですが、借景に良いと言う。人のものを借りる前に、自分がしっかりしたものを造ることが大事で、逆に他の人から借景されるものを造るつもりで努力しなくっちゃー、と言う。
 風景は自然に出来たものだから、誰でも自由に借りられると思うのは誤りである。この優雅な風景を造っている牧場も、これまでの長い時間、知らず知らずに手をかけてきたから、今の美しさにたどり着いたに違いない。北海道の特徴と言われる牧場風景は、どれも自然のままに放置していて出来たのではなく、どれもが、時間をかけ手間をかけて、ようやく美しくなってきたものである。
 英国の田舎に広がる穏やかで牧歌的な風景も、領主が城からの眺めを元にして、丘を変え、林を動かし、畑を動かし、時間をかけて造り上げた壮大な造園工事の結果である。庭園計画をはるかに超えるスケールを持った、いわゆるランドスケープデザインというやつである。
 魅力のあるところに寄り添って、それを享受するのも手軽でよいが、やはり、五十年ぐらい経ったときに借景に利用されるようなものを造る気概を持つことが、今、必要ではないだろうか。特に、高層の集合住宅に思う。

住宅雑誌リプラン・55号より転載
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