Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.44「「フィンランドの教会」」
写真
今年の春に、三十年ぶりにヘルシンキを訪れた。新しいものを見ることも楽しみであったが、三十年前に見たもののなかで、もう一度体験しておきたい空間があった。
 ひとつは、祭壇の奥が全面ガラス張りになっている小さな教会である。その全面ガラスからは針葉樹林の広がりが見えるが、そこに一本の細身の白い十字架が凛として立つ景色は、清涼感があふれ、感動的である。ガラス面に向かって登る、天井を支えている木造の小屋組みの簡素な美しさは、三十年経っても変わらず、思っていた通りに、その礼拝空間は今も爽快であった。この教会は三十年の間に一度焼失したけれど、そっくり建て直したという。これは、この教会のもつ空間の美しさを惜しむ人たちが、同じものを求めたからに違いない。
 もうひとつは、岩盤を上から掘り込み、広場を造り、その上に屋根を載せた教会である。この教会のなかの壁は、岩盤が掘られたままの姿なので、荒々しい。しかし、天井は、ゆるやかなドームになっているので、柔らかく優しい。天井の中央部は、丸く銅板で葺いてあるが、壁際のほうはぐるりとガラス張りになっている。そのガラス面から入ってくる白い透明な光によって、礼拝する空間は現実感を失い、紫の座は、いっそう象徴的に見える。外からはただの岩山にしか見えないので、その下に、これだけ大きな、しかもこれほど爽やかな空間を内包しているとは、誰も予想できない。予備知識の無いまま、暗い入り口から礼拝堂に入ると、ほとんどの人が息を呑む。
 フィンランドの教会は、どれも空間的な魅力によって成り立っている。後から取り付ける装飾品に頼っていない。建築を考え始めた時から、魅力的な空間を造ろうとしている。住宅にあってもやはり、装飾品に頼ることなく、空間そのものの魅力を、はじめから目指さなければいけないと思った。

住宅雑誌リプラン・59号より転載
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