Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.47「熱波」
写真
 ことし(2003年)のヨーロッパの夏は、サハラ砂漠の気候が北上して異常な暑さであった。
 そんななか、近代建築の巨匠ル・コルビジェの設計した、リヨンのラ・トゥーレット修道院に泊まった。五十年前に建てられているが、さすがに、近代建築のリリシズムが今でも薫る美しい建築である。しかし、深い瞑想にふけるために、自活を基本にする修道院という厳しいところに、冷房などという軟弱なものがあるわけがない。おまけに泊まるところは、最上階の幅1メートル83センチ、高さ2メートル26センチ、奥行き5メートル92センチという、うなぎの寝床のような僧房である。窓際に簡易な机、真ん中にベッドと簡素な収納、入り口の脇には手洗いがあるだけという質素なつくりである。刑務所の独房のようなものである。
 強い陽射しと高い気温によって熱せられた屋根は、夜になっても冷えることなく、寝ている者をグリルするように、じりじりと熱を放つ。じっとしていても汗ばむ。夜になっても、30度から下がる見込みがない。床から天井までの幅の細い換気扉を見つけて、窓側と廊下側を両方開けてみるが、空気はほとんど動かない。じっとしていると毎秒数ミリという空気の動きが、わずかに感じられる。真っ暗になった独房のなかで、そのかすかな空気の動きを、わずかにでも感じたときのありがたさは、冷たい一杯の水にも勝る感じであった。その切ないような心地好さを感じながら、うとうとするのが精一杯の夜を過ごした。 
 札幌では、ちょっとの暑さでも、暑い暑いと言ってクーラーをつけているに違いない。このわずかな空気の流れを待ちわびる喜びを味わってこそ、クーラーを使うべきだ、いや、クーラーなぞ使うべきではない。自然の風をもっと実感しなければならぬと、異常気象にあえぐ南フランスで、思わず意気込んでしまった。

住宅雑誌リプラン・62号より転載
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