Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.53「続・焼失」
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 二十年ほど前に建てた家が焼けた話(vol.51)の続きです。
 新しく建て直した家が、昨年十一月に出来上がり、無事に引っ越した。引き渡しのときに「よくできた。なんといっても大工さんたちが、手間を惜しまず良い仕事をしてくれた。それに較べたら設計の先生のほうが、負けてるなあ」などといわれたが、喜んでもらってよかった。新しい仏壇を入れてから引っ越すといっていたのだが、寸法採りを間違えて手直しをするのに時間が掛かるといわれ、しぶしぶ引っ越した。しかし、驚いたことに二週間もしないうちに、あの親父さんが亡くなったという知らせが届いた。新築祝いの宛名書きなどを頼んだ息子達に、風呂に入りながら、なんだかんだといっていたという。静かになったので、様子を見に行ったら風呂に沈んでいたという。心臓発作だったという。
 四月に家の全焼に遭い、家の再建に奔走し、現場に毎日顔を出しては注文を付けて、家のできるのを楽しみにしていた親父さんに、新しい家に入ってもらえて良かった。
 私が感動した「千の風に乗って」の詩を息子に持っていった。ネイティブアメリカンの詩といわれているが、千歳の牧場のあたりは風も強く、その詩がぴったりの風景である。繊細な神経を持つからこそ憎まれ口を叩いたりしたが、信念のしっかりした頑固な親父さんの心が、千の風になって農場の上を吹いているように思える。毎日、朝に昼に夕に吹く風になって、息子の働きと牧場の行く末を見届けているように思えてならない。私も「先生、どうだ。俺のいってることを聞いたから良い家になったべ」と、風が吹くたびにいわれている気がする。おかげで良い家になったよ、親父さん。
 合掌。

住宅雑誌リプラン・68号より転載
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