Essay by Maruyama/連載エッセイ

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 二十五年ぶりに江差を訪れた。夕方の江差の町は、それほど賑々しいとも思えなかったが、夕日が海に沈んで次第に暗くなってくると、三百六十年の歴史を持つという姥神大神宮祭が輝き始める。闇に沈む港町のなかを十三の山車が、それぞれに漆塗りの色も鮮やかに練り歩く姿は、北海道とは思えぬ雅やかさがあって、「江戸にも無い華やかさ」といわれた、かつての江差の面影が感じられた。
 山車の上には小学生の囃し方が座り、鈴、太鼓、笛を奏でる。山車のそばで、歩きながら笛を吹く年かさの子も居る。幼稚園ぐらいの子どもたちが、手すりにつかまって並んで座っている山車もある。クライマックスになると、十三の山車が一同に揃うが、夜の十一時を過ぎる。その頃には乗り手が年かさの子に代わり、リズムもテンポも速く激しく、躍動的になる。山車の周りや上に居た子どもたちの身体の奥にまで、鈴の音、太鼓の響き、笛の音が、沁みこんでいるに違いない。
 「祭りに帰るのか?」というのが、江差の町を離れた人同士の挨拶だという。さらに「いいお祭りで!」という挨拶で、訪れる人をもてなす習慣が残っていることは、衝撃的であり、感動的である。その、誠に「素」なもてなしを何軒かで受けているうちに、こちらの心が開かれて、知らず知らずに笑みが浮かんでいる。豊かである。「ココでくらす、ココロでくらす」である。
 江差の下町の旧街道沿いは、昔の風情を残そうと建築協定ができていて、街道筋らしい佇まいになっている。これができたのも、そこに住む一人ひとりが、その町に誇りを持っているからである。かつて何度も山車を引いたり乗ったりして、身体に沁みこんだリズムやテンポが、この町に住む人に、誇りと愛着を持たせていると思う。
 町並みをつくることは、姿かたちを整えることではなく、その町に住む人たちが、その町に誇りと愛着を持って住むことであると思った。

日本建築家協会北海道支部20周年記念
建築家展「ココでくらす ココロでくらす」開催
会期:2008年2月1日(金)より2月10日(日)まで
会場:北海道立近代美術館

住宅雑誌リプラン・78号より転載
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