ロングランエッセイ
Vol.128 終の住処
これまで長年続けてきたロングランエッセイも今回で終わりです。自分の事務所を持ってから、これまでに百を超える住宅を造ってきました。私は北海道にふさわしい住宅は、なんと言っても「外断熱のブロック住宅」だと思っていますが、それ以外にも、木造・コンクリート造・鉄骨造などのたくさんの住宅を造ってきました。
私の造る家は、どれも個性的で少し変わっている家が多いと言われますが、私の設計には、時間がかかるせいもあります。ようやく見つけてきた土地で、何ができるのか?どんな暮らし方をしていきたいのか?それに合うような家は、何で造ればいいのか?を考えながら、細かいところまで話を聞くうちに、設計が進化し、煮詰まり、次第に住む人の考えや気持ちにぴったりの姿になるまでには、どうしても時間がかかるのです。そうやって造られた家に住み続けると「この家は、自分の家だ。自分だけの家だ」という思いが強くなります。
かなり前に、重い病で入院されていた方に「最後の外泊になりそうだから、居間の吹き抜けのところで休みたい」と言われたことがありましたが、その家への深い愛着を感じました。「病気になったら、この和室から外の景色を眺めていたい」と言われていた方が、最近、外泊する間もなく亡くなりましたが、同じようにその家への深い愛着が察せられました。
どちらも、それぞれの家を自分だけの「終の住処」と信じられたからの言葉だと思えました。きれいに出来上がったときの姿にではなく、永く住んだからこそ湧いてきた言葉としての「終の住処」に違いないのです。住まうの人の考え方や住まい方や好みまで踏み込んで考えたことが間違えていなかったときにしか「終の住処」とは言ってもらえないと考えると、「その家を設計させてもらって良かった。恩返しができた」と思えました。深く感謝です。
住宅雑誌リプラン・143号より転載