Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.13「雪見酒」
写真
 ぐんと冷え込んだ夜、粉雪の降りしきる国道を車で走った。遠目のライトをつけても、見通しは少しも良くならない。ライトに照らし出された粉雪が、次から次へとこちらに向かって走り来ては、走り去る。道路を走っているというよりも、雪の流れのなかを泳いでいるような感じさえする。かつてのんびりと助手席に乗せてもらっていた頃、この雪の河のような錯覚を美しいと思った。
 車に乗っていなくとも、果てることのないように降りしきる雪の姿は美しい。町外れの人家の少なくなった道路に、ぽつんとともる街灯りのまわりで雪が舞い落ちる姿も、美しい。円形の中庭を住まいの真ん中に作った。その中庭に樹木を植えようと、造園かに工事の現場を見てもらったらその中庭を大層気にいってくれた。
 まだ雪の降る前であったが、彼は「この中庭で雪が舞う。それも中庭の風は渦を巻くように廻るので、粉雪はサラサラと、一層美しく舞い踊るでしょう。きっと、きれいですよ…」と冬を思いめぐらすように語った。
 中庭に照明器具が付いた。その光のなかで廻るように降りしきる雪は、彼が言った以上に美しかった。はめころしの窓からそれを眺めながら、工事の人たちと「雪見酒に、お誂え向きだね」と言い合った。
 雪のしんしんと降りしきる夜、家の灯を消して庭の灯をともし、その光のなかで舞い降りる雪の姿を、じっと眺めていたいものである。月見酒よりも、このような雪見酒のほうが、北の国らしい酒の飲み方だ…。
 雪が降り始めると途端に、陰欝になってしまった時代は過ぎたはずである。むしろ雪を積極的に楽しむことを考えてゆきたいものである。サッポロ雪まつりが、何もなかった札幌の冬を鮮やかに彩っているように、雪見酒が、冬の住まいや冬の暮らしを楽しく彩るに違いない。
 雪を住まいの宿敵と思い込まずに、その魅力を活かす努力をすれば、もっと楽しい冬を過ごせそうである。

住宅雑誌リプラン・28号より転載
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