Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.18「草庵」
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 今年は5月も末になって、ようやく暖かくなってきた。遅くなった分だけ若芽の勢いは鋭く、山は一気に緑に膨らむ。そして山菜の美味しい時期になる。雪と寒さに耐えて春を待って、ようやく出てきた芽を摘むのは気が引けるんだが、タランボの芽やウドの天ぷらの美味しさに負けて摘んでしまう。他にもフキノトウやタンポポも食べる人もいるが、イタドリも食べる人がいるとは知らなかった。
 私はイタドリを、食べる代わりに建築材料として天井に使ってみたが、思った以上に落ち着いたものに出来上がった。イタドリは、川原などにむやみやたらと生えている元気の良い草で、夏には人の背丈を越えるし、茎は細い竹くらいに太くなる。その茎は寒くなって葉が落ちると、つるりと滑らかになって赤茶けた色に染まる。和室の造作に使う煤竹によく似てくる。この煤竹とは、もともと飛騨高山などの合掌作りの家の小屋裏に使われていた竹が、下の囲炉裏の煙で燻されたものである。屋根の葺き替えをするまでの、長い時間燻されて出来たものだけに、竹を編んだ紐の跡が、斜め十字に白く残っていたり、煤け方がまばらであったりすることを珍重したものである。今では本物がほとんど無くなってきて、新しい竹に煤を付けたようなものを既製品で売っていたりするが、少しも趣がない。というより、見すぼらしい。
 もともと北海道の和室を、内地のものを使わないで造りたいと考えていたが、七畳半の雪見櫓を造ることになったとき思い出したのが、煤竹もどきのイタドリであった。去年の秋に、河原へイタドリ狩りに行って、場所を変えながら二百本近くも採ってきて、乾燥させた。もともと云えば草であるから、釘で留めるわけに行かないので、天井近くにつけた2本の棒の上に並べた。初めて天井を見た人は、誰も枯れたイタドリの茎が並んでいるとは思わない。密かに一人、これは草なんだぞ、イタドリなんだぞとほくそ笑む。
 かつての日本の家は、木と紙と草で造られていたと云われる。草の天井を見て、圧迫感のないのに気が付いた。
 思えば土壁も木も襖も障子も、押せば壊れる弱さをもっているがそれが中に居る人を圧迫しない。居心地が良い。狭い茶室も居心地が良い。近頃は床や天井の素材が、すっかり硬いものになって、押しても壊れるどころかこっちが傷つくくらいなので、圧迫感が強くて、部屋を広くしないと居心地が悪い。
 天井のイタドリだけでなく、壁に土を使い、床に藁を使った、小さいけれども居心地の良い草庵を造りたいと思った。
 もっと、船や飛行機で運んでこない手近な素材を使って、ものを造りたいものである。

住宅雑誌リプラン・33号より転載
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