Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.31「落葉松(からまつ)の大黒柱」
写真
 根元で直径二十八センチあり、てっぺんでも二十五センチもある、高さ五.五メートルの落葉松の柱を家のほぼ中央に建てた。土台を敷き並べてから、まっ先に、この大きな柱を建てたので、一本だけすっと建っている姿は、霊験あらたかな御神柱のように見え、お祓いするなら、上棟の時より、柱が一本立った時のほうがふさわしいと思った。
 大工工事が進んで、まわりに柱が建てられ、梁で繋がり、筋交いが組まれ、母屋(もや)、垂木(たるき)が載せられ、根太(ねだ)が組まれてゆくと、一本ですっと建っていた時の神懸かり的な迫力は薄れるが、やはり構造の中心にどっしり構え、頼りになりそうである。銘木ではないが、さすがに、大黒柱だけのことはある。そのためか、まわりにたくさん建っている普通の柱が、むやみに細く、頼りなさそうに見えてしまう。
 落葉松でも、細い材料は、ねじれて割れることが多くて、「性(しょう)が悪い」といわれて、使いこなすのが難しいが、これほど太くなると割れも、比較的真っすぐに入るので、扱いやすいという。大工に「今度は、一本ではなくて、二本建てたいな」というと「それじゃ大黒柱でなくて、恵比寿柱だ」という。「いや、七本建てて、七福神にするか、縁起の良い家になるぞ。」となった。構造的に、必要最小限の柱の太さと較べれば、この柱は、四倍も五倍もの太さがあって、随分と不経済であるように見えるが、見るものに迫ってくる。この堂々たる安心感は、得難いものである。安心感を買ったようなものである。便利で、明るく、広くて、綺麗、さらに豪華であることを羨むわけでも、僻むわけでもないが、寒さと雪のなかに佇む家には、ここにあるような堂々たる安心感が、欲しくないだろうか。

住宅雑誌リプラン・46号より転載
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