Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.36「青島(チンタオ)」
写真
 小さな中国の街だと思い込んでいた青島は、びっくりするほど、大きかった。二百万人が住み、いくつもの高層ビルの建ち並ぶ、中国有数の港湾都市だとは思ってなかった。おまけに、欧州風な落ち着いた市街地があるとも思っていなかったから、ますます驚いた。港から離れた丘陵地に広がる旧市街地は、中国というより、欧州の街に似ている。道には石畳が敷かれ、街路樹のマロニエは道にかぶさる。奥まって建てられた、窓の少ない欧州風の建物を眺めながら、ぶらぶらと散歩をしたくなるような雰囲気である。北海道では見られない、街路空間の豊かさであった。これらは、中国の伝統ではなく、かつてドイツが青島を、1898年から第一次大戦までの間、統治した時に保養地として利用していたものの名残であるという。
 ここ青島では、その旧市街地の持つ、心地よい街のたたずまいを遺そうとし、ひとつの方法として、どの建物にも赤い瓦屋根を持つように指導しているという。出来たばかりの、五階建ての白くて真四角な、近代的な集合住宅の屋根にも、当然、赤い瓦が載せられている。小高い丘にある展望台に上がって見ると、濃い緑のなかに赤い屋根が点在している光景が、街全体に広がっている。まるで、落ち着いた南欧の風景のようにも見える。
 景観的財産を遺して活かそうとすることが、青島で出来て、函館では出来ない。青島で出来て、札幌で出来ない。中国と日本の政治体制の違いによるところも大きいが、そればかりでなく、もっと基本的な、倫理的な問題であるような気がする。
 「まあ、青島に来たのだから」と、百年前にドイツが造り始めたという青島ビールを飲むと、ほろっとして、中国に居ることをふっと忘れた。

住宅雑誌リプラン・51号より転載
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