Essay by Maruyama/連載エッセイ

vol.39「棟梁:小島与市」
写真
 円山公園に隣接して建っていた斎藤秀雄邸が、去年の暮れに解体され、円山界隈の魅力的な住宅が、またひとつ消えた。残念である。昭和九年に建てられたもので、寄棟風の屋根でありながら、玄関のところだけを腰折れにして、洋風の表情を強調した大正ロマンの佇まいをもった住宅である。
 施主の斎藤秀雄氏は、外国雑誌の写真を見せながら、あ〜しろこうしろと口うるさく注文をつけたようである。それらの注文を聞きながら、一軒の家にまとめ上げたのが、小島組の棟梁・小島与市、三十六歳の時である。当時の住宅は、ほとんど棟梁の設計施工で造られていた。そのため棟梁は、設計的なセンス、美術的な素養も必要とされ、単に木工技術が優れているだけでは、一流の棟梁と呼ばれなかった。小島与市は、写真撮影にも優れた才能を発揮し、その頃に撮影した大沼公園の駒ヶ岳を望んだ写真が、大きな賞をもらうほどの腕前であったし、真っ白な雪の風景写真は、今も新鮮な美しさがある。
 住宅は、住む人、考える人、造る人が、三位一体となって初めて、良い家ができ上がる。特に昭和の初め頃の棟梁は、考える人、造る人の両方に力を発揮させた芸術家と言ってよい。それに比べて近頃は、棟梁の力量を問題にすることが、あまりにも少ない。と言うより、無いに等しい。しかし、今こそ棟梁の腕前を大事にしないと優れた大工技術が消滅する。小島与市を筆頭にした棟梁の業績を見直して、棟梁の存在とその技量を考えたい。

住宅雑誌リプラン・54号より転載
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