Essay by Maruyama/連載エッセイ

タイトル
写真
室生寺には、四十年ほど前に団体で訪れているが、小ぶりで美しい五重塔を見て、そそくさと帰っていた。今回は、しっかりと奥の院まで行ったが、その階段がすごかった。
台風の被害にあって修復された五重塔の脇を抜けて、たどり着いた奥の院へ向かう石積みの階段はむちゃくちゃ急で、おまけに四百段近くもあるので、見上げるようである。エスカレーターの角度よりはるかにきつく、幾度も息が切れて立ち停まる。千年を超える樹木の元で、ひと休みしては上を望むが、お堂の足元の柱組みは、まだ遠くに見える。丁度、本堂の仏像を拝めるように開放した休日のせいもあって、いつも静かな冬の室生寺にも、多くの人が参拝していたが、この階段への挑戦を断念する人も多い。しかし、室生寺では、この奥の院への階段こそ、大事である。五重塔や本堂や弥勒堂も森の中にひっそりとあって優しい雰囲気だが、奥の院までの階段を実感すると、ここが厳しい修行の場所であることがわかり、納得する。
 一時間おきにしか来ない帰りのバスを待つ間、バスに乗っている間、階段に挑戦した人たちは、声高に足腰や息切れの話をしながらも、その表情に達成感がある。挑戦できなかった人の表情には、わずかに敗北感があるように思えた。室生寺の四季を撮った写真は大変美しく、桜のとき、新緑のとき、紅葉のとき、雪の降ったときに是非、訪れたいと思わせるが、それでも奥の院への階段の体験こそ重要であると思った。
 住まいも、写真で美しく見えることより以上に、身体で感じるもっと大事なものがあるに違いないと思う。奥の院への階段を登っている時、あんなに疲れた感じだったのにも、まったく筋肉痛にならなかったのは、奥の院の御利益かもしれない。

住宅雑誌リプラン・84号より転載
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