Essay by Maruyama/連載エッセイ

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札幌の街は、分かりやすく歩きやすいと、旅行者に評判が良い。道路が東西南北に直角に交わっていて、条丁目がはっきりしているので、どこにいるのか、すぐ分かるからであるが、そこに住んでいる人にとっては道路も広く見通しが良いので、風通しが良すぎて、しっとりとした住宅地の雰囲気に欠ける。
 かつて住宅地として評判の高かった、山鼻地区の中通りのつくられ方を聞いて驚いた。条丁目の大きな道路に挟まれた一丁画を東西に通り抜ける中通りが、一本ごとに太さを変え、さらに、まっすぐ通り抜けできないように食い違わせてあるという。市街地図で確かめてみると、確かに太さの異なる中通りが、てんでばらばらに食い違いながら、配置されている。住宅地を静かにするために、むやみに車を入れない方法であるが、画期的である。真駒内、大麻、ひばりが丘などの住宅団地では、歩行者と車の分離を考えて、いろいろな方法が提案されたが、このように単純で明快な方法はなかった。この雁行する中通り方式を考えた人は、すごいと思う。
 最近、信州の松本と山口の萩を訪れた。古い町並みを残しながら、訪れる人に街の歴史を紹介しているが、どれも幅が狭く一車線がようやっとで、一方通行であり、人が多いときは、通行止めであったりする。そぞろ歩くのにほどよい幅で、札幌の中通りと似たような幅であったが、ここは、車を優先させる「道路」ではなく、人の歩くのを優先する「道」だぞということがはっきりしていた。
 札幌には、そぞろ歩くところがない。中通りを落ち着いた雰囲気につくり上げ、それらが雁行しながら連続して、札幌の街なかを歩きまわれる、ジグザグ中通りネットワークをつくるのが良いと思う。松本や萩の伝統的な町並みに負けない、札幌にそぞろ歩く道をつくりたいものである。

住宅雑誌リプラン・85号より転載
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